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最高裁判所第二小法廷 昭和51年(オ)1289号 判決

上告人

加藤紘一

右訴訟代理人弁護士

早川登

桑原太枝子

被上告人

株式会社三晃社

右代表者代表取締役

松波金彌

右訴訟代理人弁護士

本山亨

近藤堯夫

神田真秋

那須国宏

右当事者間の名古屋高等裁判所昭和五〇年(ネ)第三三八号退職金返還請求事件について、同裁判所が昭和五一年九月一四日言い渡した判決に対し、上告人から全部破棄を求める旨の上告の申立があった。よって、当裁判所は次のとおり判決する。

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人の負担とする。

理由

上告代理人早川登、同桑原太枝子の上告理由及び同桑原太枝子の上告理由について

原審の確定した事実関係のもとにおいては、被上告会社が営業担当社員に対し退職後の同業他社への就職をある程度の期間制限することをもって直ちに社員の職業の自由等を不当に拘束するものとは認められず、したがって、被上告会社がその退職金規則において、右制限に反して同業他社に就職した退職社員に支給すべき退職金につき、その点を考慮して、支給額を一般の自己都合による退職の場合の半額と定めることも、本件退職金が功労報償的な性格を併せ有することにかんがみれば、合理性のない措置であるとすることはできない。すなわち、この場合の退職金の定めは、制限違反の就職をしたことにより勤務中の功労に対する評価が減殺されて、退職金の権利そのものが一般の自己都合による退職の場合の半額の限度においてしか発生しないこととする趣旨であると解すべきであるから、右の定めは、その退職金が労働基準法上の賃金にあたるとしても、所論の同法三条、一六条、二四条及び民法九〇条等の規定にはなんら違反するものではない。以上と同旨の原審の判断は正当であって、原判決に所論の違法はなく、右違法のあることを前提とする所論違憲の主張は失当である。論旨は、すべて採用することができない。

よって、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 岡原昌男 裁判官 大塚喜一郎 裁判官 吉田豊 裁判官 本林譲 裁判官 栗本一夫)

〈参考〉

(昭和五一年(オ)第一二八九号 上告人 加藤紘一)

上告代理人早川登、同桑原太枝子の上告理由

原判決は、法令の解釈を誤った違法がある。又審理不尽、理由不備の違法がある。

退職金は、現在では賃金の後払い的性格をもっている(経済的にいうと、貨幣価値の逓減が著しく、インフレ現象を呈し、一生つとめても、労働者は退職金を以て、自分のマイホーム一軒すら入手することさえ出来ない状態であることは、顕著な事実である)。法律上は、労働基準法は国家が使用者の労働者ないし労働力に対する支配に干渉しこれを抑制して、労働者の生活を保障したものである。そして退職金は、被上告人は恩恵的な給付であるというのに、原審は退職金は労基法十一条の「労働の対価」としての賃金であるとする。この原審の退職金の判断は正にその通りである(昭四〇・七・七・大阪地・判タ一八一、昭四五・五・二八・大阪高・ジュリスト四七五、昭四三・三・一二・最高・判タ二二一、昭四九・四・一六福岡高・判タ三一一)。然し、被上告人が恩恵的なものであるというのに対し、賃金だとして判断するのは弁論主義に反する。

被上告人は、退職金が恩恵的なもので、被上告人の就業規則等に定められている内容のものは、広告業では合理的なものであるというのに、原審は一方的に退職金は賃金であると認定してその合理性を認めている。これは経験則に違反し、弁論主義に反する。退職金を賃金といってないのに賃金だという判断をして、その上で上告人の判断をしりぞけ、被上告人の判断を採り入れている。原審の判断は退職金について被上告人の大前提の事実を述べていないのに、之を反対の解釈をして判断を進めている。全く論理矛盾である。賃金だといわないのに賃金だと判断する。矛盾も甚だしい(上告人は、退職金は賃金の一部であることを前提に主張しているし、一審もそうである)。

次に、原審は退職金を賃金といい乍ら被上告人の退職金の規定は有効だとする。労基法十六条に違反しないという。甲三号証の誓約書九項で、原審でいう如く、昭和三七年一〇月二〇日付で既に競業避止業務を認めさせている。昭和三八年四月一日で、上告人は入社している。入社前に既に競業避止義務を認めさせている(これを承知しなければ、入社は出来ないことはいうまでもない)。一体このような競業避止義務を入社前から認めさせて採用することが、適法であるかというと、一般に競業避止義務は立法(商法二五条、四一条、四八条、七四条、八六条、一四七条、二六四条、二六六条、有限会社法二九条、三〇条の二)で認めた場合は許されるが、そうでなければ許されないものである。何となれば、予め競業避止義務を定めて、労働者を傭うと、その労働者は、一生しばりつけられてどうしようもなくなる「所謂かいごろし」となるからである。労働者の職業選択の事由や労働者の労働権を否定することになるし、又本件のように地域や期間の制限もない就業規則のものでは、全く公序良俗に違反(又憲法の職業選択の自由に反す)するからである(大判明治三四・一一・一六、法律新聞七〇、二六、大判昭和七・一〇・二九、民集一一・一九、一九四七、参照、「労使関係の法律相談」(萩沢清彦・花見忠編、有斐閣発行)四七二頁)。

原審は、本件上告人のような広告に関係する従業員(上告人)についてのみ判断しているが、上告人は、既に、広告業につかないものも退職金で同じ扱いをうける(之は証言で被上告人がいっている)という事ものべ、従業員が(広告業務につこうが、つかまいが)すべてその適用をうけることは全く許されないといっているのに、この点の判断は何もしていない。被上告人の会社に入ると退職金の点で飼い殺しとなる。入社前から競業避止義務を使用人に加するのは全く違法である(特別法の、商法二五条の営業譲渡人、商法四一条の支配人、商法四一条の代理人、商法七四、八六、一四七条の合名・合資会社の社員、商法二六四、二六六条、有限会社法の二九、三〇条の二の各取締役については適法であるが)。

本件でいえば、上告人が入社後被上告人の会社の前記特別法に該当するようになった場合ならいざしらず、そうでない限り、入社前の誓約書の九項は、その範囲内で無効である。上告人は前記特別法のどれにも該当しないので、いくら誓約書で之を書いてもその適用をうけない。尚、附言するに、上告人はこの誓約書に署名、押印しなければ入社できないのである。又被上告人の就業規則がある以上、退職の際、被上告人のいう書面に署名、押印しなければ退職金が頂けないのである。形式的に上告人はこれに従ったから、従ってそれを承知の上での入社、退社だから、退職金を半額返せという判断は全く許せない。原審は、電通や、大広のような大会社ではいけないが、被上告人のような、中小企業ではよいというが、これも大企業、中小企業は何によって判断するのか、全く理解に苦しむ。ただ大きい、小さい企業という判断だけでは論理が一貫しない。又企業により差別するのも公序良俗や憲法上の制度の解釈に反するもので到底原審の判断は認容されない。

一日でも他の企業へつけば、被上告人の全従業員は、競業避止義務の適用をうけないというが、これについて上告人は、不合理だというが、原審はこの点につき、何の判断もしない。原審は、被上告人のような――独断的な中小企業の判断は別としても――会社に入ったものはやもう得ない。あきらめよというに等しい。弱い労働者程益々、広告業界では飼い殺しになってもよいというが、そうだとすれば、一体労働基準法の労働者の労働条件を守ってやるということを無視することになる。一般に広告業界においては、競業避止義務に関し、之の適用を認めてもよいという。然し広告業以外はどうなるのか。もし、その営業を制限するなら、その判断を何に求めるかにつき何等の判断がない。全く論理が一貫しない。

上告人は、労基法十六条違反というが、原審は中小企業なる被上告人のような中小広告会社では競業避止義務があっても憲法(大企業、中小企業とに区別するのが憲法の平等の原則に反するが)ではないというが、之を一般的に他の業界に適用してゆくと自然労働者は、労働を強制される危険があり、実質的な賃金切り下げの結果をもたらす、労基法十六条はもぬけのからの規定となる(吾妻光俊「労働法」初版二二二頁)。

退職時に就業規則に従い、書面をかいたから退職金の半額の請求権を放棄したという判断は、全くおかしい。ミクロ的に従来の労働法のない頃の解釈ならともかく、マクロ的に労基法をみたとき、この片言を促えて判断するのは、労基法十六条の規定を形式論理的に解釈したもので、その判断は全く誤っている。

原審で上告人が述べた通り、労働契約の当事者の一方である労働者に債務不履行があっても、直接強制(民法四一四条一項)は許されない。間接強制(民訴七三四条)も許されない。労働の提供そのものが、労働者の人格と不可分の関係により、経済的な圧迫によって、労働者の意思に反して仕事をさせるのは、強制労働と同じだからである。だから使用者は労働者に債務不履行であっても、それによって蒙った損害を賠償するより致し方がない。之が私法上の原則である。

他方民法上は、契約の当事者は債務不履行につき、損害賠償の額を予定することができ、裁判所はその額を増減できない(民法四二〇条)。民法上は、使用者は労働者の債務不履行につき、損害賠償の予定ができる。そしてその額を多額にすると前記の間接強制と全く同じ効果を得ることができる。これは労働者の人格尊重の近代法の見地からは認められない。そこで労働基準法は第十六条で、使用者が、労働契約の不履行について違約金を定めたり、損害賠償を予定する契約を禁止している。

(労基一一九条(1)の罰則までついている。労基法九一条も類似規定である。船員法三三条にも類似の規定が存する。)

この規定は、工場法時代から存した規定をうけついだもので、我が国の実情にそくする規定である。

禁止されているのは、違約金を定めることと損害賠償額を予定することである。違約金を定めることは、労働者に労働契約の期間中の中途でやめることを防止し、又強制労働を禁ずる為である。

競業避止義務の特約のように、労働契約、就業規則につけられた違約金についても「損害賠償額の予定」であることにかわりはない。

これは現実に生ずる損害を正確に立証し算定する手数を省くため、特定の場合にどれだけの損害賠償をすべきかを予め定めておく約束であると解されるからである。

本件では、一審が認定するように当事者間に上告人が退職後同業他社に就職する場合には、自己都合退職金の半額が不支給になる契約の存在が認められる。そしてその契約には、直接競業避止義務を認める明示的な文字はないが、退職金の半額を支給することにより間接的に競業避止義務を課したものである。一審の証人の証言によると、前述の如く被上告人の従業員は広告の事務をやっていようと、全く広告と関係のない人についても、右退職金が半額になるという。広告の仕事に従事しないものにも同業他社へ行くと退職金が半額になるという(但し、一回でも他の業務につけばその適用はないという、不可思議な取扱をしている)。そして、被上告人の退職金は、就業規則等により退職金の支給、及び支給基準が明確になっており、退職時にその額が確定する(被上告人も一審の証人がいうように損害はあるが、算定しにくいことは認めているし、原審でも損害のあることは認めているが、その算定については何も判断していない)。

即ち、損害を正確に立証し、算定する手続を省く為に損害賠償の額を予め定めたものである。かかる労働契約に関する賠償額予定の約定が労基法十六条に違反し、無効であることは一審のいう通り至極当然である。退職金の一般的支給基準が就業規則等で明示されている限り、退職金が賃金の後払い的性格を有し、労基法二四条一項の全面的適用をうけることは、今日の通説であること(原審もこれを認めている)を考えれば、右の一審の判断は全く正当である。

被上告人は準備書面で色々とのべて、就業規則等の被上告人の退職金に関する規定は有効だというが、何れにしても被上告人会社の労働者が(何の仕事に被上告人会社で従事していても)同業他社へ就職すると退職金が半額になるというのは、現実に生ずる損害(現に損害が生ずることは、被上告人会社で自認している)を正確に立証し、算定する手数を省くために、特定の場合にどれだけの損害賠償をすべきかを予め定めておく約束であることに変りはない(有泉享・有斐閣法律学全集「労働基準法」一〇七~一〇八頁、昭和三八年初版第一刷、吾妻光俊「労働基準法」七三頁(2)参照)。又本件のように同業他社へ就職した場合、退職金が半額になるというのは、退職金を円満退職者以外には支給しない旨を定めたと同じであり、退職金をもって労働契約の債務不履行についての損害賠償にあてることに帰着し、労基法十六条、二四条一項に違反し無効である(昭四四・九・二六・岡山地玉島支・判時五九二参照)。

原審は、この程度の足止めは止むを得ないというが、一体その一般的基準はどこにおくかはっきりしない。足止めになることを原審は認めている。

労働者の飼い殺しを認めている。これは全く近代法の労基法十六条の解釈を誤ったものである。

又、原審は、実質的に損害賠償額の予定とする為には経済的にみて、債権者が蒙るであろう損害金と予定額との間に相当程度の関連性のあることを要するというが、これこそその関連性の立証がむづかしいことであって、それが出来るなら、何も労基法十六条をおく必要もないことになる。事実証人等でも損害額の算定がむづかしいことは自分で認めている。又前述の如く、広告業に関係のないものまで、被上告人会社ではこの退職金就業規則の適用をしているというのに、この点について何の判断もしない。この場合には損害がないのに、損害を労働者に転嫁することになる。全く論理が一貫しない(懲戒解雇については、上告人は今迄何もいっていないし、この点までの判断をしている。之も弁論主義に反する)。

又、退職金の半額支給を賠償請求とみるかであるが、賠償請求とみない限り、それを理論ずける法理はない。

尤も同業他社へ入社したとき、退職金を半額減ずるというのが一つの支給条件であって、それは損害賠償債権ではないこと、法律上の原因を発生せしめないものを設けてこれを基礎とした被上告人の支給であるから、これを根拠として被上告人が返還を求めることはできないし、仮にそれが可能であるとしても、次に何故契約でもって均等待遇の原則を破りうるか、その合理的な根拠は全くない。

更に一部重複するが次の通りのべる。

労働協約や就業規則あるいは労働契約で、退職金支給の諸条件を自由に設定しうるとはいいながら(時としてはその労使が)、そこには一定の自由に対する規制があることを見逃してはならない。つまり退職金支給の諸条件をなんでも設定できるというものではなく、個別的労使関係を公正なかたちで展開するための合理的条件のみが退職金支給の条件たりうるということである。そうした場合、従来から存在する退職金に対する使用者の一方的判断にもとづく功労報償的あるいは恩恵的立場に立った退職金の取扱を規定する条件が許容され、適用されるものであってはならない。本件の競業避止義務についてこれをみれば、退職後に競争他会社に就職することが、はたして退職金を半額に減給する程重要なものであるかどうか。

本件のような広告代理店業は各営業マンと顧客との人的結合がきわめて重要であり、会社と顧客との結びつきというよりも、顧客と営業マンとの結びつきにウエイトが置かれている業界である。したがって上告人が退職前確保していた顧客が、上告人の他社への就職によって、その同業他社へ移ることは当然であって、いってみればその顧客は、長年にわたる上告人個人との信頼関係を基礎にした取引で、そのかぎりでは上告人の大きな財産というべきものである。この財産は、上告人が被上告人に勤務しながら蓄えたものであるとはいい乍ら、個人財産としての性格を否定できない。上告人の場合、その個人性が強く、上告人の就職がえによって顧客が移ったとしても、この業界における取引の慣習上、それが退職会社の損害に通ずるとはいえないであろう。してみると上告人は退職することによって被上告人に不法な損害を与えているものではないからして、退職金の半額減給を正当づける一つの根拠は、つぶれている。

つぎに競業避止義務についてであるが、たしかに労働者は、一つの会社に就職中、他の競争会社へムーライターその他の方法で就業することは、継続的信頼関係からして許されないというべきであるが、一般に管理職でない労働者の忠誠心は、競業関係にない他の会社への就業を禁止するところまで要求されるものではない。外国の諸企業においてムーライターの存在が普通となっていること、昼間の務めに影響を与えない限り、それは労働者に認められる当然の権利といえるものであることなどを考えるとき、集団的労使関係や個別的労使関係が、国際経済社会の発達や直接的にはILOの活躍のなかで、ひとりわが国労使関係が兼職の禁止をかたくなに保持しつづけるわけにもいくまい。ムーライターが、ハード・ワーカーとして称賞されることがあっても決して否定されることのない労使関係こそが、公正な労使関係であって、それは労使関係における勤勉さを生み出すものである。まして本件は、退職後他の競争会社に就職したのであり、かりにそれを禁止する就業規則の条項があったにしろ、その条項に、職業選択の自由を不当に拘束し、かつまた国民経済のなかで労働力をフルに活動せしめようとする公序良俗に反することにもなろう。そしてこの点は、下級管理職についても同様である。

以上

上告代理人桑原太枝子の上告理由

第一点 昭和五一年(ネ)第三三八号退職金返還請求控訴事件の判決(以下単に控訴審判決という)は、憲法第一四条、同第二二条、労働基準法第三条、同第一六条、同第二四条、民法第九〇条に違背しており、また、理由不備である。

詳細はつぎに述べる。

1 控訴審判決は、「被上告会社の退職金制度は全額使用者負担となっていて、……かかる方式の下では、退職していく従業員に対しどの程度の退職金を支給するかは、使用者側においてある程度裁量的に定め得るものと解される(九枚目表)」とするが、歴史的にはともかく、今日では、財源が何であろうと、就業規則、退職金規則に明記されていれば、労使ともその支払いを予定しているはずであり、長い目でみれば日常の賃金がその分だけ安くなっているはずであって、財源によって退職金の賃金性・権利性に差を認めることは理由にならないと解する。

特に、控訴審判決は、本件の退職金が、労基法一一条の「労働の対償」としての賃金に該当する(八枚目裏)として、高度の賃金性・権利性を認めたのであるから、この考え方は矛盾している。

ちなみに、被上告会社は、本件退職金が恩恵的給付であることを前提にして、本件退職金、減額支給条項の有効性を主張しているのである(三枚目表)。

2 控訴審判決が、本件の退職金が、労基法一一条の「労働の対償」としての賃金であることを肯定しながら、自己都合退職の場合に退職事由により差異を設けることが、法律・公序良俗に反しないとしたのは、理論的に矛盾しており、憲法一四条、労基法三条の解釈適用を誤ったものであると解する。

控訴審判決は、「退職金支給額(率)につき、会社都合による退職と自己都合による退職とで差異を設けることは広く行なわれており(九枚目表)」として、このことと、自己都合退職の場合に退職事由によって算定基準に差を設けることとを、同列において判断した様子がうかがわれるが(九枚目裏)、自己都合退職の場合の退職金は、いわば、退職金の最低限のものであり、これを更に退職事由によって差をつけて支給するなどということは、余程の理由がない限り均等対遇の原則(憲法一四条、労基法三条)に違反すると考える。

この点につき、「会社都合による場合、自己都合により退職金を高率で支給するのは、解雇手当相当部分が含まれるため(司法研究報告書第一五輯第二号労働基準法における民事上の諸問題四九・五二ページ)」であり、「労働者の死亡により労働関係が終了した場合は、遺族手当相当部分が含まれている(同報告書四九・五〇・六八ページ)」として、「自己都合退職金相当部分は、いかなる退職事由によるも支給される(同報告書七三ページ)」ものであり、「労働関係の終了という不確定期限付の債権とみるを相当とする(同報告書七四ページ)」というのは、筋の通った見解であると考える。

また、控訴審判決は、本件退職金減額支給条項が、「会社の承認を得ず在籍のまま他に雇用されたとき懲戒解雇事由とされ、退職金も零となる旨の就業規則と併せて合理性あるもの(一一枚目表)」としているが、退職金が賃金であるという考えを貫ぬけば、過去に同じ労働をして来た労働者に対しては平等に支給されるべきであり(均等対遇の原則)、「退職が懲戒解雇であろうと自己都合であろうと、そこに差をつける合理的理由は見当らない(労働法体系5労働契約・就業規則一五四ページ)」ということにもなり、また、少なくとも、「労働関係終了時において、労働者の故意または重過失により企業に対する消極的貢献そのものが、直接間接を問わず、過去に遡って、全部ないし一部が減殺される結果を生じた」場合にも、「自己都合退職金相当部分の不支給の程度範囲は使用者の恣意に委ねられるものでなく、あくまで、客観的見地から普遍妥当性のあるものでなければならない(前掲司法研究報告書九六・九七ページ)」のであって、懲戒解雇の場合に退職金不支給とすることについても大きな問題があり、これを拠り所にすることはできない。

3 控訴審判決は、労働者が被上告会社を退職した「後」に同業他社へ就職することを理由として、退職金算定基準に差異を設けることを肯認している。

これは、退職前の過去の労働の価値を、当該労働者が将来被上告会社に与えるであろう影響を考慮して評価することであり、極めて恣意的なものであって、全く不合理である。このようなことは、本来、判断の対象外とするべきである。

また、控訴審判決は、本件退職金支給条項が、退職の自由(民法六二七条一・二項)、憲法で保障された職業選択の自由(憲法二二条)を制限したものであることを肯定しながら(企業防衛上やむを得ない―一一枚目表―というのは、足止めの効果、同業他社へ転職しない効果を認めていることである)、この程度の制限は、法律・公序良俗に反しないとしているが、民法九〇条の解釈適用を誤ったものである。

なお、控訴審判決は、2項で述べたとおり、本件退職金減額支給条項を懲戒解雇の規定と併せて考え、これを一種の制裁規定あるいはそれに近いものと考えている様子がうかがわれるが、そうだとすれば、懲戒権の根拠とされる使用者の指揮命令権が退職後におよぶはずはなく、また、将来、その労働者が、使用者に対し好ましくない影響をおよぼすかもしれないことを理由として、予め制裁を加えることはできないから、全く不合理といわねばならない。また、憲法で保障された市民的自由にかかわることを理由に制裁を加えるなどということは、公序良俗に反し許されない。

4 控訴審判決は、「中小業者である被上告会社のように、営業は、専ら営業社員と顧客との個人的結びつきに頼っている場合は、営業社員が同業他社へ転職すると、それに伴って顧客も同業他社へ移る傾向が強く、それだけ会社にとって不利益となることから、同業他社へ転職の場合は、単なる自己都合の場合とは区別して、低い算定基準で算出した退職金を支給するものとして、従業員の企業への定着を期待する程度のことは、企業防衛上やむを得ないものと考えられ(一〇枚目裏~一一枚目表)」るとしているが、本件退職金減額支給条項は、営業社員にも、営業に関係のない例えば事務系の社員にも、一律に適用されるのであるし、また、営業社員が同業他社へ転職したからといって、必ず被上告会社に不利益をもたらすとは限らないことを考えれば、まことに大まかで粗雑で、不合理な規定である。

また、会社に不利益をもたらすというが、営業社員の顧客は、当該社員が会社に勤務しながら蓄えたものとはいいながら、個人財産としての性格を否定することはできないと解され、顧客が他社へ移ったことが、直ちに会社の損害になるとはいいきれない。したがって、それを理由に不利益なあつかいをすることは、合理的でない。

なお、被上告会社は、自社の受ける不利益のみを強調するが、逆に、被上告会社が顧客付営業マンを他社から引抜き、大きな利益を得る可能性もある。

5 控訴審判決は、もともと、「退職金がその支給割合に応じた数額しか発生しない(九枚目裏)」のであるから、本件退職金減額支給条項は労基法二四条の全額払の原則に抵触しないといい、また、右条項が「実質的に損害賠償の予定とするためには、経済的にみて、債権者がこうむるであろう損害額と予定額との間に、相当程度の関連性のあることを要するものと解されるところ、本件の場合、両者間にはほとんど実質的関連性は認められない(一〇枚目表)」から、損害賠償の予定とはいえず、労基法一六条に違反しないとする。

しかし、控訴審判決が、被上告会社の経済的不利益をうんぬんしている(4項記載のとおり)ことからもうかがわれるように、本件退職金減額支給条項が、実質的には会社の損害の一部または全部――4項で述べたように実際の損害額を確定することは誠に困難である――を補てんする趣旨(損害賠償の予定)であることは確実であり、労基法一六条、同二四条に違反しないとした控訴審判決は、同法の解釈適用を誤ったものである。

6 上告人は、退職に際し、今後同業他社に就職した場合には、退職金規則の規定するところに従い、受領した退職金を半額を被上告会社に返還する旨を約したのであるが(五枚目裏)、この特約は、いうまでもなく、就業規則・退職金規則の退職金減額支給条項が有効であることを前提としたものであり、その前提が無効である以上無効である。

また、この特約自体も損害賠償の予約であり、労基法一六条に違反しており、更に、偶発的であるべき不法行為においては、賠償の予定ということはあり得ない(注釈民法(19)一二六ページ)から、義務のないことを約したものであって、その意味でも無効である。

以上

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